潮田千勢子の墓所と顕彰碑
明治時代の草分けのクリスチャンで、後に婦人矯風会の第三代会頭を短期勤められた潮田千勢子女史は、 吾妻町教会115年史によれば、 定説より一年早くハリス宣教師から明治14年に洗礼を受けた。 明治30年に仙台の雑誌「道の栞」に手記を寄せている。飯田大火前の江戸町の前島医院があった場所が、藩医丸山家の屋敷であり、ここが初期の教会となっており、明治14年にハリス宣教師から洗礼を受けたと記している。 |
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潮田千勢子の墓所と顕彰碑 潮田千勢子女史の墓所は、都立青山霊園にあり、基督者であり無論法名はなくひっそりと立っています。
戸籍名は飯田図書館蔵の潮田家の除籍謄本によれば 変体仮名のち せとなっている。 |